🐘たびっこ動物🐅

毎月プチ旅行

灰色の雀 #4

 

警察署から連絡があったのは、21時の少し前だった。スーパーの仕事から帰宅し、1人分の食事の用意をしていた。金曜日は好物を食べることに決めている。麻婆豆腐だ。もともと私は辛いものが苦手だったが、成長期の一人息子がよく辛いものを食べたいというので作っていたらすっかり好きになってしまったのだ。

 

出来上がった麻婆豆腐にさらに七味をかけるところで電話が鳴った。滅多に鳴らない電話の音に胸の内をざわついた。「八代不動産にお勤めの、益山幸太郎さんのお母様で間違いありませんか。益山幸太郎さんが車との接触事故で千葉総合病院に搬送されました。」

 

不幸の知らせは突然やってくる。誰に降りかかったっていいのに、いろんな人をすり抜けて気まぐれに私までたどり着く。こっそり質素に暮らしていたって、豪快に悪事を働いて生きていたって不幸のルーレットは誰にでも当たる。幸太郎は赤信号の横断歩道を渡り、車にはねられ意識不明で病院に運ばれた。電話を切るや否や、熱々の麻婆豆腐をそのままに、家を飛び出した。幸太郎でなくてはならない理由が全くわからなかった。

 

車で50分かかる病院まで、鼓動は痛い程に打ち続いた。幸太郎の幼い頃を思い出すと、喉が絞られるように苦しかった。

幸太郎は免罪符だ。自分がどんなに最低で卑怯な人間でも、子供の顔を見れば自分は必要とされている、あるべき人間なんだと思える。この私でいいんだと教えてくれる。私の許されない罪を、軽くしてくれる、唯一の救いなのだ。

 

病院に着き、警察に連れられて意識のない息子と対面した。お盆に見たばかりの幸太郎は、知らない人のようだった。いや、知らない人だと思いたかったのだ。ベッドに駆け寄り、握った手の懐かしい感触で自分の息子だと実感した。

 

そのまま病院で朝を迎えると、幸太郎は目を開けていた。名前を呼んでもなにも言わなかったが、虚ろな目の奥で何か考えているようだった。

医者に呼ばれて別室に行くと、脊椎損傷で下半身不随だと伝えられた。リハビリや車椅子の話をされたのだろうが、その後の内容はあまり覚えていない。

 

お腹を痛めて産んだ子供が、私しか愛をあげる人のいない息子が、あんなに優しくたくましく育った幸太郎が。蘇る幸太郎との思い出が、色も音も失った。

幸太郎の幼い笑顔は思い出せるのに、ここ数年の幸太郎の顔は曖昧にしか出てこない。

ポラロイドのようにじっと輪郭が浮かび上がるのを待ってみたが、幸太郎の顔が出てくることはなかった。ついこの前と今の幸太郎を比較しないように、無意識のうちに食い止めていたのだと思う。

 

幸太郎の人生はあとどれだけ苦労を重ねれば良いのだろう。

幸太郎が生まれてから、父親とは会わせていない。あの人は別の家庭を持っているからだ。幸太郎には中学生に上がる時に父親のことを伝えた。私をどんな母親と思ったのだろう。深く考える素振りも見せず、それから幸太郎はより一層逞しくなった。それ以前から強かったのかもしれないと今になってまた、誇らしく遣る瀬無く感じる。

進んで洗濯や皿洗いの手伝いをし、買い物にも一緒に行ってくれた。塾に通わせるお金もなかったのに、いつもテストは上位だった。英語で一位を取った時は、誕生日と同じサイズのケーキを買って帰った。大きすぎて余ったケーキは、次の日も、その次の日も2人で食べた。

高校に進むと、幸太郎は明るくなった。成績も順調で、大学に通わせる為にパートを増やして朝から晩まで働いた。誰でもできるようなパートをしながら、幸太郎にはこんな思いはさせたくない、いい大学に行っていい仕事について、子供との時間を存分に過ごし、不自由な思いをせずに育てて欲しいと、それだけ思って働いた。

幸太郎は私の願いを一つ一つ叶えていくように、国立の大学に進学し、不動産会社に就職した。勤めて6年でやっと昇進しそうだと電話をかけてきたのは、つい1週間前だったはずだ。

こんなにもあっけなく、幸太郎の幸せも、私の幸せも、粉々に崩れた。手の届く範囲の幸せを精一杯かき集めて、束の間の幸せを感じても、360度自分を取り囲む消えない不安に耐えられるだろうか。

 

幸太郎は目を開けたまま、ずっと遠くを見ていた。